クラブの沿革  2000/08/20Update

 

 

1.沿革

@発足

 1979(昭和54)年4月、横浜市神奈川区にある銀嶺幼稚園と神大寺幼稚園のサッカークラブの卒園児を集め、かながわクラブが発足しました。ちょうどうまい具合に、横浜市が学校開放事業を軌道に乗せようとしていた時期だったと思います。クラブ員の保護者に港北小学校のPTA会長がおり、そこを活動拠点とすることがトントン拍子で進みました。
 当時の日本ではスポーツは学校体育が中心でした。しかし、ヨーロッパや南米では非常にサッカーが盛んであり、それらはすべて地域に密着したスポーツクラブの一部門として繁栄してきました。
 当時私たちはまだ学生でしたが、「どうせやるならサッカー先進国を見習い、学校体育とは一線を画した、地域に密着した総合型のスポーツクラブにしようじゃないか」ということで始めました。
 ですからあえて「かながわサッカークラブ」や「かながわFC」とはせず、「かながわクラブ」としました。また、小さい子供でも読めるように、かながわをひらがなにしました。
 小学生だけのサッカークラブとして始め、活動は週1回の日曜日、各学年とも1時間の練習が中心でした。
 組織形態は、クラブを支える母集団である「後援会」があり、会員は「後援会費」を月々1,000円納入していました。運営は母親たち、指導は我々指導者が行なう、といった役割分担がなされていました。
 当時からサッカーの指導法にはかなりこだわり、根性論を極力排除し、科学的なデータをもとにそれぞれの年代にあった方法を取り入れてきました。今でこそ当たり前になったボールリフティングなど、小学生年代では、ボール扱いを100%重視した技術的なトレーニングとミニゲームばかりを行なってまいりました。

A発展

 小学校を卒業すると、子供たちがサッカーをする場は中学のサッカー部がほとんどでした。しかし、そこでの指導は、日頃伝えてきたこととは180度違ったものであり、サッカーが嫌いになってしまう子供たちを目の当たりにしてまいりました。サッカーは世界で一番人気のあるスポーツですから、きっとそれだけ面白いはずです。その面白さを、せっかく小学生年代で少しだけわかってもらえたのに、一番大切な時期であり、面白さを深く理解できる年代の時に、適切な指導ができないためにサッカーを嫌いになってしまう。そのことが許せず、私たちは中学生年代のクラスを設け、同様に自然発生的に高校生やトップが発足しました。
 中学生以上を抱えるようになるといくつかの問題点が出てきました。
・中学生以上は週1回の活動では練習量が不足してしまうこと。
・平日の活動を視野に入れて考えると、専任が必要になってくること。
・専任を抱える組織になると、母親たちによる運営では限界があること。
こうした問題点をクリアすべく、後援会を解散し、専任制度を導入しました。
 この時点でのクラブ組織は、すべての職務が専任である代表に集中し、現場の指導から経理、渉外等すべてを一人の専任が受け持ち、小学生の各クラスを非常勤の指導者が担当する制度であり、いわば個人商店と同じ状況でした。

B特定非営利活動法人かながわクラブの誕生

 個人商店と同じ状況ですから、電話加入権一つをクラブ名義で買うことさえままなりません。クラブで財産を持つということができない状況です。
 また、行政に働きかけた場合でも、個人の意見としてしか扱ってもらえず、社会的な信用度はゼロに等しい状況です。
 さらに、一番痛切に感じたことは、「代表が倒れたらクラブはどうなってしまうのだろう」ということでした。いくら立派な理念を唱えても、所詮は個人商店と同じですから、組織の発展性が自ずと狭まってきてしまいます。そういったリスクを回避し、組織を大きく発展させるためには、クラブの法人化が必要でした。
 こうして1999年11月、念願の「特定非営利活動法人かながわクラブ」が誕生いたしました。


2.NPOかながわクラブの現状


@クラブの理念

 そもそもスポーツの語源はdisportであり「遊び、興ずる」という意味だといわれたことがあります。ですから私たちはスポーツの原点を「遊び」と考えています。したがってクラブの活動においては、一切の強制はありません。面白いと思えば子供たちは自然と参加したがるだろうし、そこに工夫も凝らし始めます。サッカーに対する造詣も深くなり、活動には自主的に参加するようになり、自立心も芽生えます。
 保護者に対しても運営への協力は一切強制しません。グラウンドの抽選会などに毎月参加していますが、善意のお手伝いをお願いするだけです。一人一人の善意によって作り上げてゆくクラブこそ、地域に密着し長続きするものだと信じています。
 サッカーから離れようと思えばいつでも辞めることができますし、レベルの高いチームに移ることも自由です。もちろん戻ってくる時も何の障害もありません。各自が自分の都合でうまくクラブを利用してくれればいいのです。サッカーをやりたい時にその場を提供できればいいと思っています。
 強制はありませんから、指導する側としては「待つ」姿勢が大変重要になってきます。手を変え品を変え、それぞれの年代で身につけてほしいことを伝えるのですが、1年かけて一つのことを浸透できればいいと思っています。
 現場の指導も組織のあり方も同様で、こうしなければいけない、といった発想はありません。こうすればもっと面白くなる、もっと素晴らしいものが出来上がる、といった発想があるだけです。

A事業内容と年間予算

 NPOかながわクラブの事業は大きく分けて二つあります。
 一つ目はサッカー普及活動であり、現在は、神奈川県サッカー協会の1部門である神奈川県クラブユースサッカー連盟(高校生のクラブチーム)と神奈川県クラブジュニアユースサッカー連盟(中学生のクラブチーム)の事務局事務の受託とともに、天皇杯や日本代表の試合の運営の一部を受託しており、年間約350万円ほどの収入になっています。
 二つ目は幼児から社会人までで構成されたサッカークラブである「かながわクラブ」の運営になります。受益者負担の法則を適用しておりますので、各クラスともおそらく他のサッカークラブと比較して割高のクラブ費設定になっています。こちらは年間約2,000万円ほどの収入です。
 この他にNPO会員からの収入が年間約50万円、合計で約2,400万円の予算で法人を運営しています。

B職員・指導者

 現在、事務所には3名の職員がおりますが、うち2名は指導者を兼任しています。そして指導者は、その専任2名の他に契約1名、非常勤が6名おります。指導者は皆、クラブ内におけるサッカーの指導に留まらず、各種選抜チームやトレーニングセンター、大会役員として派遣してきております。

C任意団体との相違点

 任意団体の頃から、年に1回クラブ総会を開き、役員の承認、事業や予算についての承認を行なっておりました。しかし、その場での議決権はクラブ員の保護者が持っており、極端な場合にはクラブの将来や方向性など無視し、自分の子供のためだけに発言をし、それが決定されてしまう危険性がありました。
 そこでNPOでは、クラブの主旨に賛同し、協力しようという意思を持った方を広く募り、「会員」とし、総会での議決権を与えました。そしてこの会員の中から理事が選出され、法人の執行部を構成しています。
 今までは自分たちのクラブのことばかりを考えるような組織でしたが、NPOの会員を広く募ったことにより、広い視野で組織の運営を考えることができるようになりました。

D活動等の現状

 現在では幼児から社会人まで、約300名余りがサッカーを楽しんでいます。小学3年生以上は活動回数が増えますが、これは活動の機会を多く提供しただけであり、一切参加の義務はありません。
 中学生からトップまでは競技スポーツとして真剣にサッカーに取り組んでおり、明るい雰囲気ながらも、選手たちは常に高い目標を抱いています。

E家族そろって楽しむために

 ほとんどの子供たちはサッカーが楽しくて通ってきています。しかし、その親は「子供が楽しく通っていればそれで良し」「サッカーは一つの習い事」といった雰囲気でした。あるいは自分はサッカーをやったことがなくても、試合になると子供の批判をしてしまう親が多くおりました。
 「子供だけが楽しむ必要はなく、親も一緒になって楽しめないか」、「子供たちがどんなに難しいことにチャレンジしているかを、親にも体験してもらう必要があるのではないか」といった発想から、親子サッカーが始まりました。1〜2ヶ月に1回、親と子供たちを数チームに分けて紅白戦をするだけなのですが、これが結構楽しいのです。一つのボールを大人と子供が入り乱れて奪い合い、親子の情け容赦のないバトルが繰り広げられます。
 親子サッカーをはじめてから、親子の会話が増えたり、父親や母親がサッカーファンになったりといった家庭がものすごく増えました。
 その延長で、今年の6月には父親のチームであるPapas(パパス)を立ち上げました。サッカー未経験の方もいますが、毎週必死になってボールを追いかけています。
 父親たちにとっては、仕事上の付き合いとは一切無縁の、地域で自発的にスポーツを楽しむことができる場になりました。このPapasが、近い将来クラブ発展のために、大きな力になってくれるものと信じています。

F施設利用における問題点

 現在、小学生は港北小学校と大口台小学校、中学生や高校生は港北高校を中心に公共の施設を借用して活動しています。発足以来、それぞれの施設は比較的定期的に借用できておりますが、問題がないわけではありません。
 一番困っているのは、平日の夜間に利用できる施設の少ないことです。現在の施設は自前のものではありませんし、優先的に借用しているわけでもありませんから、いつでも自由に利用できるわけではありません。他の利用団体との調整如何によっては、極端に利用回数が減ってしまうこともよくあります。
 他の施設が利用できる場合はいいのですが、そうでない場合は、外灯を頼りに空き地で練習をしたり、鶴見川のサイクリングコースをランニングしたりしています。
 学校の夜間利用においては、サッカー、野球がほとんどであり、それにテニスやソフトボールが若干加わる程度です。ほとんどの学校においては、これらの利用団体が一堂に会しての抽選会を行ない、利用日を決定しています。どの団体も月に1〜2回程度の利用に留まっているのが現状です。
 抽選で利用日を決めていますから、確かに表面上は公平に見えます。しかし、1団体1登録が原則ですから、私たちのクラブのように多世代で構成されているクラブは大きなハンデを抱えてしまいます。中学生で3チーム、それに高校生、トップ、父親と6つのチームがあっても1団体としての登録しか認められません。これでは何のためにクラブを発展させてきたのかわからなくなってしまいます。
 また、実際に他の利用団体の活動を覗いてみると、ほんの数名で広いグラウンドの一部だけを使って活動をしているのが実情です。
 「できるだけ多くの人が利用できる施設」という理念も解らなくはないですが、実際に利用する側にとっては決して良いシステムとは思えません。多くの団体が利用すれば、それだけ利用方法が無責任になりますし、活動も単発的になってしまい、組織としてはまず長続きできません。逆に限られた団体のみに利用させることによって、それぞれ定期的な活動が可能となり組織が育ちます。「自分たちの施設」といった思いが強くなり、その施設を大切にするようになり、学校側との対話も増え、場合によっては備品の寄付といった行為も発生するのではないでしょうか。
 いつまでも変な公平さを大切にし、抽選方式に拘り続けていたら、永久に横浜市民のスポーツへの関わり方は変わらないでしょう。
 市民の健康増進のための取り組みの一つとして、学校開放のあり方については、スポーツクラブの育成を念頭におき、是非一考をお願いしたいところです。


3.私たちの夢


@総合型地域スポーツクラブへの移行

 新聞によると、先頃「2010年までに全国の市町村に総合型地域スポーツクラブを作る」という答申が文部省になされました。クラブ発足以来の夢が、いよいよ実現に向かって動き出しているような感じを受けています。
 一口に「総合型」といっても、現在の私たちにとっては簡単な問題ではありません。サッカーという1種目多世代型のクラブから、他種目他世代型への移行。現在でも施設が不足している状況から、種目を増やすことをどのように展開していくのかは大きな問題です。
 現在小学生がメインで利用している港北小学校では、バレーボール・バスケット・バドミントン・卓球・空手が行なわれています。利用団体同士での調整がうまくできており、すべて定期的な活動が行なわれております。これらの団体と対話を重ね、接点を見出すことがまずははじめの一歩ではないかと思います。
 突き詰めて考えると、横浜における総合型地域スポーツクラブ=学校開放となるのではないでしょうか。最終的には、その学校開放事業の委託を受けることができれば、素晴らしいことではないかと思っています。

Aスポーツ文化が地域に根付くために

 自分たちのクラブの発展だけを考えてもスポーツが文化として定着しませんし、結局のところクラブ運営も難しくなります。スポーツの普及・振興を勧めるためにも、NPOだからこそできることがあるはずです。今は外部からの依頼にはできるだけ応え、スポーツNPOの先駆者として、他のスポーツクラブを啓蒙し、多くのNPOを増やしたいと考えています。実績を積み重ね、NPOの認知度と信用を高めることが重要であり、そして将来的には、NPOこそが地域のスポーツ文化を推し進める原動力になると信じています。

 

 


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